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浦和地方裁判所 昭和41年(行ウ)4号 判決

原告 埼玉新聞労働組合

被告 埼玉県地方労働委員会

主文

被告が、申立人原告、被申立人株式会社埼玉新聞社外二名間の埼地労委昭和四〇年(不)第一号、不当労働行為救済命令申立事件につき昭和四一年五月二七日付をもつてなした別紙命令書中主文第四項はこれを取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を、被告訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を、それぞれ求めた。

第二、原告訴訟代理人は請求の原因として次のとおり述べた。

一、原告組合は、昭和四〇年一月訴外株式会社埼玉新聞社(以下埼玉新聞社若しくは会社という)、同埼新印刷株式会社(以下埼新印刷社若しくは会社という)、同株式会社中央アド・エイジエンシー(以下中央アド若しくは会社という)(以上三社を単に訴外三社ともいう)を被申立人として、被告に、不当労働行為救済申立を、更に、同年六月六日追加申立をなし(以下本件申立という)、右は埼地労委昭和四〇年(不)第一号事件として、被告地労委に係属したが、本件申立の要旨は、別紙「本件申立要旨」記載の五項目であつた。

二、被告は、右申立につき昭和四一年五月二七日付で別紙「命令書」のとおりの命令をなし(以下本件命令という)、右命令書の写しは同年六月六日原告に送達された。しかしながら、本件命令には、左記三ないし五の如く訴外三社の諸行為がいずれも労働組合法(以下労組法という)七条一号ないし三号所定の不当労働行為を構成するにも拘らず、事実を誤認し又は同条の解釈を誤つた結果、これを否定した点で違法がある。

三、松村幸男書記長に対する出勤停止、休職、懲戒解雇の各処分(以下本件各処分という)について

埼玉新聞社は、松村幸男(以下単に松村という)が、昭和三六年九月一〇日から同三九年六月一〇日までの間に、川口警察署、川口市役所、蕨警察署に対する電話使用料と称し合計金一七九、八五九円を埼玉新聞社から不正取得したことを理由に、右松村に対し、昭和三九年七月二二日付の業務命令書と題する書面により出勤停止処分をなし、又就業規則四一条五号、労働協約四二条四号、四七条六号および七号を根拠として同年一二月三一日付の書面を以て翌四〇年一月一日から一ケ月間休職処分に付する旨通知し、加えて同年三月一八日付の書面で懲戒解雇に付する旨通知をなした。しかしながら、松村に対する右一連の処分は次の理由により労組法七条一号該当の不当労働行為である。

即ち

(一)  本件各処分のなされた経緯であるが、埼玉新聞社の労働条件は、労働基準法所定の基準にも達しない劣悪なものであつたところ、松村は昭和三二年組合の書記長に選出されて以来、弱体化していた組合の組織を再建すると共に、その中心として活発な活動を開始し、その結果、定期昇給制度の確立をはじめとして劣悪な労働条件は漸次改善されるようになつた。そこで、埼玉新聞社は、このような松村の組合活動を阻害し以て組合を壊滅すべく、昭和三三年二月、松村を神田青果市場詰めに配置転換し、続いて同年四月、春日部支局、翌三四年一月には朝霞通信部、同年三月には所沢通信部、昭和三六年八月には川口支局に配置転換したところ、同人は再び活発な組合活動を始めたのであり、本件各処分はそのような中でなされたものである。

(二)  (1) しかも、本件各処分の基本的な理由とされる電話料取得の点についても、従来埼玉新聞社においては、記者が交際費、書籍購入費等間接的ながら取材活動に不可欠な費用を出費した場合でも費目の関係上必ずしもその全てを償還してくれるわけではなかつた代りに、電話料等取材活動に直接要した費用を請求する際、これに前記諸費用をも含めて大目に請求(振替請求)して受領することを認めるという取材制度なる慣行が存したのであつて、松村の前記電話料の取得も右慣行に従つてなされたものであるから、右松村の行為を目して不正取得とはなし得ないわけであり、それ故電話料の不正取得を前提とする本件各処分は無効と云わねばならない。

(2) 又仮りに、埼玉新聞社において右の如き慣行が存せず、若しくは右の額につき一定の限度があり松村の場合これを超えたものとしても、右と大差のない振替請求は従来埼玉新聞社において広く行なわれており、なかんずく川口支局における松村の前任者である野口についても松村とほゞ同様であつたのに拘らず、松村のみを前記理由により処分したこと等の点からして明らかに差別待遇である。

(三)  更に、本件各処分は全て懲戒処分に該当するのに拘らず、いずれも組合との間に労働協約所定の協議を経ることなくなされたものであり、又休職処分・懲戒解雇については所謂二重処分、三重処分であるからいずれの点からも本件各処分は無効である。

以上の如く、本件各処分は前記(一)の如く松村が埼玉新聞社の労働条件を改善すべく積極的な組合活動をしている中で、しかも、それが同(二)および(三)の理由により無効であるのに拘らず敢てなされた点からみて、同人の組合活動を理由としたものであることが明らかであるので右は労組法七条一号該当の不当労働行為である。

四、団体交渉方式について

(一)  訴外三社のうち、埼新印刷社、中央アドは、それぞれ元埼玉新聞社の印刷、広告部門であつたものを分離して別法人としたものであるが、これら訴外三社は昭和三八年までは組合に対して統一団交に応じていたのに拘らず、次第にこれを拒否するようになり、本件申立当時においては全く統一団交を拒否するに至つた。

(二)  しかしながら、(1)統一団交は訴外三社および組合間において協定されていた事項であり、(2)少くとも、訴外三社は従来組合との統一団交に応じていたものであり、従つて確立した慣行となつていたものであるが、(3)しからずとするも、訴外三社は形式上別法人ではあつても事実上は一社(同一組織)であるから訴外三社は組合との統一団交に応ずる義務があるというべく、正当の理由なくこれに応じないのは、労組法七条二号該当の不当労働行為である。

五、原告に対する支配介入等について

訴外三社は、原告組合を破壊するため、原告組合に対し左記の如く支配介入を行なつた。

(一)  訴外三社のうち、中央アドは、昭和三九年一月、分裂組織である「中央アド会」を結成させ、原告組合の分裂と弱体化をはかつた。即ち、「中央アド会」は昭和三八年末、原告組合の行なつた争議の直後である昭和三九年一月に結成されたこと、その「結成の主旨」には、社業の発展に協力することが強調されていることおよび原告組合が嫌悪していた年間臨時給制を会社と締結したこと等は、その性格が第二組合的なものであることを推測させるものであり、しかも、右書面は、埼新印刷社によつて印刷され、中央アドの役員等によつて、これが従業員に配布されたのであるから、右「中央アド会」は、中央アドの影響の下に結成されたものである。

(二)  訴外三社は、昭和三九年夏季一時金について、原告組合と団体交渉が継続中であつたにもかかわらず、埼新印刷社は昭和三九年六月四日付「お通知」なる文書で、又中央アドは同月一〇日付「通告」なる文書で、それぞれ一方的に一時金支給額を決定して原告を無視して組合員らに通知した。

(三)  埼新印刷社は、昭和三九年四月、原告の組合員松田勝子に対し、同人が原告の組合員であることを理由に不当な配転を命じた。

(四)  同じく埼新印刷社は、そのころ原告組合員に対し、非組合員との間に作業上不当な差別を加えた。

(五)  中央アドは、昭和三九年一二月、原告の委員長須藤種一に対し、種々の脅迫を行ない、原告の組織および活動に介入した。

(六)  埼新印刷社は、昭和三九年一一月ごろ、原告の組合員山口孝義に対し、同人の組合活動を理由に暴行を加え、さらに同年一二月同人に原告を脱退するように強要した。

(七)  中央アドは、昭和三九年一二月、原告と訴外三社との年末一時金に関する団体交渉が継続中であるにもかかわらず、原告組合を無視して原告の組合員二名に対し、一方的に決定した一時金を受領するよう強要した。

(八)  埼新印刷社は、昭和四〇年四月、原告の当時書記長であつた山口孝義に対し、原告組合の掲示ビラが掲示板からはみ出しているので取り下すよう要求した。

(九)  埼新印刷社は昭和四〇年五月、文書および口頭で原告を非難中傷し、原告の弱体化を図つた。

以上の各事実は、いずれも労働組合法第七条第三号該当の不当労働行為であり、そのうち不利益差別取扱の事実はさらに同法第七条第一号該当の不当労働行為である。

六、以上のとおり、訴外三社の行為は、いずれも不当労働行為であり、従つてこれを理由とする原告組合の本件救済命令の申立はこれを認容すべきものであるのに、被告は、本件命令のごとく、原告の申立のごく一部のみを認容しその大部分を棄却するに至つたから右棄却した部分の取消を求める。

第三、被告訴訟代理人は、答弁および主張として次のとおり述べた。

一、請求原因一、の事実は全て認める。

二、同二、の事実中、被告が本件申立につき昭和四一年五月二七日付で本件命令をなし、右命令書の写しが同年六月六日原告に送達されたことは認めるが、その余は否認する。

三、同三、の冒頭の事実は認める。

四、同三、の(一)の事実中、松村が昭和三二年原告組合の書記長に選出されたこと、その頃、定期昇給制度の協定がなされたこと、昭和三三年二月以降三六年八月までの間に松村が川口支局等へ五回配置転換されたことは認めるが、その余は否認する。

五、同三、の(二)の(1)、(2)の各事実は、全て否認する。なお(1)についてであるが埼玉新聞社における取材費の取り扱いは、記者が、実際に取材のため支払つた金額につき領収書を添付して会社に請求してこれを受領する建前(実費主義)であつた。

六、同三、の(三)の事実中、本件各処分につき、いずれも組合との間に労働協約所定の協議がなされていないことは認めるが、その余は否認する。なお本件処分中、休職処分については埼玉新聞社は組合の執行委員を通じて協議の申し入れをしたところ組合から回答がなかつた為そのまま該処分を行なつたものであつて会社側には労働協約履行の意思があつたものである。

以上要するに埼玉新聞社は本件各処分につき松村の組合活動自体を決定的動機としたものではないから右をもつて不当労働行為とはなし得ない。

七、同四、の(一)の事実は全て認める。

八、同四、の(二)の(1)の事実は否認する。原告主張の協定は訴外三社および組合間における昭和三七年一〇月一日付の覚書によるものであるが、その趣旨は、「新聞定価の値上げ、社屋の譲渡、広告局の分離」についてのみ統一団交を行なうとするものであり、それ以外の事項についてまで統一団交を協定したものではない。(2)の事実については、原告主張の慣行が昭和三八年頃まで存したことは認めるも、その後も右慣行が存続しているとの点は否認する。即ち、昭和三九年頃からは訴外三社の経営内容若しくは従業員中に占める組合員の比率等に差異を生じた為、三社共通の議題を除いては組合としても訴外三社中の一社、又は二社に対して個別にする方が自然且つ適当と考えられるようになつた為、原告組合としても問題によつては訴外三社中の一社又は二社に個別に要求し且つ団交してその結果として各別の協定をも締結しているのである。

九、同五、の冒頭の事実は否認する。同(一)の事実中、「中央アド会」が原告主張の頃結成されたこと、又原告主張の事情からして同会が第二組合的なものと推測されることは認めるがその余は否認する。「中央アド会」は中央アドの影響の下に結成されたものではなく、又組合は中央アド会の結成や活動につき何ら抗議もせず、更にその後組合は「中央アド会」の会員である須藤種一を組合の執行委員長に選出している。同(二)の事実中、埼新印刷社および中央アドが昭和三九年夏季一時金につき、原告主張の日付および文書で通知をなしたことは認めるが、その余は否認する。右文書は、いずれも一時金支給に関する会社側の回答若しくは支給案の提示にすぎない。なお右各文書は原告組合に対してなされたものである。同(三)の事実中埼新印刷社が昭和三九年四月組合員松田勝子の勤務部署を第二活版部から第一活版部へ変更したことは認めるが、その余は否認する。なお、右変更は労働協約一〇条の「異動転勤」には該当しない。同(四)の事実は否認する。埼新印刷社においては外注品が多く発送の仕事が忙しい時には営業や第二活版部の従業員に対しても発送を手伝わせることがあつたが、同会社は組合員と非組合員とを差別せず右作業時間に対しては割増賃金を払つていた。同(六)の事実中、埼新印刷社常務取締役斉藤静也が同社の社屋二階の資材置場附近で山口孝義に対し新聞紙を棒状に丸めて同人の頭をたたいたこと、および埼玉新聞販売部の関口喜佐夫が原告主張の頃、山口孝義の義兄宅を訪れ山口に組合を脱退するよう勧めてほしい旨依頼したことはあるがその余は否認する。同(七)の事実中、原告主張の頃、中央アドの代表取締役武井兼雄が原告組合との団交交渉中に、原告組合員二名(山田正則、近藤清策)に対して会社案による一時金の受領を勧めたことは認めるが、同人等は結局これを受領しなかつたのであるから組合の団結権侵害には至らなかつたものである。同(八)の事実は認める。しかしながら埼新印刷社および組合間においては、予め掲示板にビラを掲示するに際しては、これをはみ出さぬようにする旨の合意が存したのであるから会社の行為は組合に対する支配介入とはならない。同(九)の事実中、原告主張の頃、原告組合が訴外三社に争議行為を行なう旨通知したのに対し、埼新印刷社が全従業員に組合の行動を暴走と非難するビラを配布する等したことはあるが、これが組合の弱体化を図つたものである点は否認する。

第四、証拠〈省略〉

理由

一、原告組合が、被告委員会に対し、昭和四〇年一月訴外三社を被申立人として本件申立をなし、埼地労委昭和四〇年(不)第一号事件として、被告委員会に係属するに至つたものであること、被告委員会が、右申立につき原告主張の日付で本件命令をなし、その命令書の写しが、昭和四一年六月六日、原告に送達されたことは当事者間に争いがない。

二、原告は本件命令にはその主張の如き違法があると述べ、被告はこれを争うので以下順次判断する。

三、松村幸男に対する本件各処分について

(一)  埼玉新聞社が、松村に対し、原告主張の日、その主張の如き理由、経緯により本件各処分をなしたことは当事者間に争いがない。

(二)  又本件各処分のなされた経緯についても同人が昭和三二年原告組合の書記長に選出されたこと、その後になつて埼玉新聞社においては定期昇給制度が確立されたこと、松村が原告主張のとおり川口支局等へ、計五回配置転換させられたことは当事者間に争いなく、成立に争いなき乙第九号証の一七中、松村幸男の供述、証人松村幸男の証言によれば、松村の原告組合における役員歴は、昭和三二年三月書記長、同三五年一月副委員長、同三六年副委員長、同三七年三月委員長、同三八年三月委員長、同三九年一月書記長、同四〇年五月以降副委員長であること(松村が昭和三二年三月書記長となつたことは争いがない)、原告組合の活動状況の面では、松村が昭和三二年三月に書記長になるまでは教宣活動もなく殆んど組合らしき活動はされていなかつたが、松村が書記長になつた直後から同人が中心となり、毎月一回「輪転機」なる組合機関紙を、又随時組合ニユースをガリ版刷りにして発行するようになり、又当時の埼玉新聞社における賃金につき定期昇給制度を確立したこと(この定期昇給制度確立の点は当事者間に争いない)、ところが、同人は同三三年二月に神田青果市場詰めに配置転換されたため殆んど組合活動をすることができぬようになり、同時に前記の機関紙等も発行されぬようになつたこと、又同人は前記配置転換の際には、当時の編集長小俣との間に本社に復帰する旨の約束を交していたが、同年四月、春日部支局、翌三四年一月には朝霞通信部、同年五月所沢通信部、昭和三五年八月川口支局への勤務となり、為に依然として組合活動をする時間的余裕がなかつたこと、もつとも、その間に前記の如く昭和三五年および三六年にいずれも副委員長に選出されはしたが、実際に組合活動はなさず、再び組合活動を開始したのは川口支局勤務中の昭和三七年三月に委員長になつてからであること、そして、早くも同年夏の年間臨時給要求および同年秋の賃上げ要求の際には初めてスト権を確立し、前記のガリ版刷りによるニユースも活発に出すようになつたこと、しかるに、昭和三八年には飯能支局勤務を命じられたが不当配転であるとして組合大会でこれに反対する旨の決議をしたこと等の為、右は、取止めとなつたこと、そして同年の年末一時金要求に際しては、初めてストライキを行なつたこと、続いて、同人は翌三九年一月に書記長になつたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。そして、右の如き事情の中で、会社が同年七月二二日付で松村に対し電話使用料の不正取得を理由に、まず、出勤停止処分を、引続き、休職処分、懲戒解雇処分をなしたことは前記の如く当事者間に争いがない。右事実によれば、松村は、原告組合の中心人物であつたため、その活動の大小が、即ち原告組合の活動の消長となつて現われるという状況下にあり、一方会社は原告組合の活動が活発となるや、右松村を支局、通信部へ配置転換し、又配転の交渉をなし、これが前記事情により取止めとなると、やがて一連の処分をなしたものといえる。

(三)  そして、本件各処分が、原告主張の如く電話使用料の不正取得を基本的理由とするものであることについては当事者間に争いがないところ、原告は、(1)埼玉新聞社には当時その主張の如き、取材費制度なる慣行が存したとし、右を前提として本件各処分の無効を主張するのであるが、当時埼玉新聞社に右の如き慣行が存したことを認めるに足る確たる証拠はない。(2)又原告は、仮りに、埼玉新聞社において右取材費制度なる慣行が存せず、若しくは、右の額につき一定の限度があり、松村の場合これを超えたとするも、当時の埼玉新聞社なかんずく川口支局においては、広く振替請求が行なわれていたのに拘らず松村のみ、これを理由として処分されたのは、明らかに差別待遇である旨主張するので判断するに、当時埼玉新聞社において、取材費制度なる慣行が存したと認め得ないことは前段認定のとおりであり、従つて、これの存在を前提として唯一定の限度があつたとの主張も又採用するに由なく、そうすれば、松村の前記電話使用料の取得はまさに不当といわねばならない。しかしながら、松村の右不当取得は決して賞讃されるべきことではないにして、成立に争いなき、乙第九号証の八中、佐藤博人の供述、第九号証の一七中、角田吉博の供述、第一〇号証の二一および、証人栗原正義、同奥野史郎、同松村幸男の各証言によれば、川口支局における松村の前任者である野口、栗原もその在任期間中、少くとも川口市役所の電話使用料につき、同市役所がその請求権を放棄しているのに拘らず同人等はこれを会社に請求して、受領していたこと(もつとも同人等の電話使用料の額と、松村のそれを正確に比較すべき資料はない)、又電話使用料以外の取材経費、例えば、交通費等についていえば熊谷支局その他でも原告のいう所謂振替請求がかなり行なわれていたこと、そして、それらについては多かれ少なかれ、当該支局長又は本社においても黙認しており、又松村自身も前記野口と相談の上、電話使用料の額を決めていたこと、それにも拘らず松村のみが不正取得をしたとし、これを理由に本件各処分に付されたことが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。してみれば、松村に対する本件各処分はその根拠において極めて合理性の乏しいものであつたものといわねばならない。

(四)  原告は、右に加えて本件処分は全て懲戒処分に該当するのに拘らず、いずれも労働協約所定の協議を経ることなくなされたものであり、しかも、休職処分、懲戒解雇については所謂二重処分、三重処分であるから、いずれにしても本件各処分は無効であると主張する。そこでまず、本件各処分の性質につき案ずるに、休職処分、懲戒解雇がそれぞれ労働協約上の懲戒処分であることは、当事者間に争いがない。そして、本件出勤停止についても、これが給与その他の経済的処遇について不利益とならなくとも、これを強制的に命じ、且つ精神的待遇等につき、不利益な差別取扱をきたすものである点で、懲戒処分を構成するものと解すべきである。ところで、成立に争いなき乙第一〇証の一によれば出勤停止については、労働協約一五条により、休職処分については同四六条、四七条各本文により、懲戒解雇については同四八条本文により会社は、それぞれ、原告組合との間に協議を経なければならないとされていることが認められるところ、本件処分につき、いずれも会社および組合間に労働協約上の、協議がなされていないことは当事者間に争いがない。然るに、被告は、休職処分については、その主張の如く埼玉新聞社において協議の申込をしたが原告組合からの回答がない為、そのまま右処分を行なつたのであり、従つて、会社には労働協約履行の意思があつた旨主張し、成立に争いのない乙第九号証の一五中、松本一朗の供述および同一七中、角田吉博の供述中には、会社は右休職処分に際しては組合に対し協議を申入れたが拒否された旨の供述が存するが、右は証人松村幸男の証言と対比して信用できず、他に被告が主張するように労働協約上の協議の申込を組合に対してなしたことを認めるに足る証拠はない。

次に、二重処分、三重処分の点であるが、本件各処分の理由は場合によつて松村による電話使用料金の返還請求権の行使に対する同人の拒絶を理由とする処分もあるが、基本的には右料金の不正取得を理由とするものである。然らば一旦出勤停止処分という懲戒処分をした同一の行為に対し更に休職処分、次いで懲戒解雇処分にしたものであるから本件処分中、休職処分、懲戒解雇は明らかに所謂二重処分、三重処分に該当し、この点でも右二処分は無効であるといわねばならない。しかも懲戒解雇に至つては原告組合が松村に対する本件休職処分が不当労働行為であるとして本件申立をなし被告に係属中になされたことは弁論の全趣旨により明らかである。

(五)  以上認定の如く、本件各処分が松村の積極的な組合活動の中でなされたものであるところ、その理由には合理性に乏しく、しかも、無効の処分が敢行された事実に徴すれば、本件処分は、埼玉新聞社において、原告組合員たる松村の右の如き一連の組合活動をしたことの故をもつてなされたものと断ぜざるを得ず、右は、労組法七条一号の不当労働行為に該当するものといわねばならない。

四、団体交渉方式について

(一)  埼新印刷社、中央アドが、それぞれ埼玉新聞社の印刷、広告部門から分離して、別法人となつたものであること、訴外三社は昭和三八年中まで原告組合に対して統一団交に応じていたが三九年以降これを拒否するようになり、本件申立当時は全く、統一団交を拒否するに至つたことは当事者間に争いがない。

(二)  原告は、その主張の理由により(請求の原因四の(二)の(1)ないし(3))訴外三社は、原告組合に対して統一団交に応ずる義務があると主張するので、まず、その(1)につき判断するに、成立に争いなき乙第一〇号証の一三によれば、昭和三七年一〇月一日、訴外三社は組合に対し、統一団体交渉に応ずる旨の協定を交したことが認められこれに反する証拠はない。もつとも、同書証の形式によれば、協定事項(一)ないし、(四)の中、(四)に記載された統一団交の条項は、協議事項である「(一)新聞の増員と定価の値上げ、(二)社屋の譲渡、(三)広告局の分離」についてのものであるかの如くであるが、同書面の内容と成立に争いなき乙第九号証の五中、小林章造の供述を合せ考えると、協議事項の三項目については、既に労使双方合意に達した為、これを前記協定事項(一)ないし(三)として、記載したものであるから、右協議事項につき改めて労使間に統一団交をなす必要もなく、理由もないものというべく、従つて、右協定事項(四)の統一団交の条項は当時前記の如く新たに、埼玉新聞社広告局が分離して、中央アドとなつたことから、以後労使間の問題につき、訴外三社が原告組合に対して統一団交に応じることを明らかにする趣旨で記載したものとみるのが合理的であり、被告の主張は採用しない。そして、訴外三社が、その後も昭和三八年中までは原告組合に対して統一団交に応じていたことは前記の如く当事者間に争いがなく、成立に争いなき乙第九号証の一七中、松村の供述によれば、右は前記の協定に基き、行なわれていたことが認められ、これに反する証拠はない。又翌三九年からは、統一団交を拒否していることは前記のとおりである。

(三)、被告は右の如く昭和三九年以降訴外三社による統一団交が行なわれていないのは、その主張の如き事情により原告組合が訴外三社中の一社又は、二社と個別的に団交をなすようになつた為である旨主張するが、右の如く、昭和三九年以降原告組合が個別的に団交をなすようになつたものとしても、それが被告主張の如き事情によるものであることを認めるに足る証拠はなく、かえつて、それは同年以降訴外三社が原告組合との統一団交を拒否している為であるものと推認し得られるのである。

(四)  然らば、爾余の点につき判断するまでもなく、訴外三社は前示協定に基づき原告組合に対し両者間の問題につき、統一団交に応ずべき義務があるにも拘らず正当な理由なくこれを拒否しているものというべく、右が労組法七条二号該当の不当労働行為である旨の原告の主張は理由がある。

五、支配介入について(以下(一)ないし(九)はそれぞれ請求の原因第二の五(一)ないし(九)の事実に対応する理由である)

(一)  「中央アド会」が、昭和三八年末原告組合の行なつた争議の直後である翌年一月に結成されたものであること、又その「結成の主旨」には社業の発展に協力する旨強調されていること、および原告組合が嫌悪していた年間臨時給制を会社と締結したこと等は同会の性格が第二組合的なものと推測されることについては当事者間に争いがない。ところでいずれも成立に争いなき乙第一〇号証の一四、一一号証の四によれば、中央アドの職制である事業部次長沖垣一郎が同会の結成につき発起人の一人となつていることが認められ、これに反する証拠はない。

以上の事実に徴せば、「中央アド会」は、中央アドの影響の下に結成されたことが明らかであるというべく、被告主張にかかる原告組合が同会の結成や活動につき、抗議をなさなかつたこと、或いは、その後原告組合が同会の会員であつた須藤種一を執行委員長に選出したとの事実は、仮にこれありとしても、何ら右判断を左右するに足りない。

(二)  埼新印刷社および中央アドが原告組合に対し、昭和三九年夏季一時金につき、原告主張の日付ある文書で通知をなしたことは、当事者間に争いがない。そして、成立に争いなき乙第一〇号証の一九、二〇によれば、右各文書は、いずれも各会社側が前記一時金の支給額につき決定をなしたものであることが認められ、これを左右するに足る証拠はなく、従つて、右が単に会社側の回答若しくは支給案提示にすぎないとの被告の主張は採用し得ない。

(三)  埼新印刷社が原告主張の頃、原告組合員松田勝子の勤務部署を原告主張の如く変更したことは被告の自認するところであるけれども、右松田が原告組合員たることを理由に右変更がなされたことを認めるに足る証拠はなく、従つて原告の主張は理由がない。

(四)  埼新印刷社が、組合員に対し非組合員との間に作業上差別を設けた旨の原告主張の事実は、これを認めるに足る証拠はなく、よつて右主張は理由がない。

(五)  原告は、中央アドが昭和三九年一二月原告組合の委員長須藤種一に対し種々の脅迫を行なつた旨主張するが、右事実を認めるに足る確たる証拠はない。

(六)  まず、原告主張の事実中、前段に関しては原告主張の頃、埼新印刷社の常務取締役斉藤静也が同社屋二階の資材置場付近で山口孝義に対し新聞紙を丸めてその頭を殴打したことについては、被告の自認するところであるが、右が同人に対する暴行に当ることは明らかではあるが、しかしながら右暴行が山口の組合活動を理由になされたものであるとの同後段に関しても原告主張の頃埼玉新聞社販売部の関口喜佐夫が山口の義兄宅を訪れ、山口に組合を脱退するよう勧めてほしい旨依頼したとの点は被告の自認するところであるけれども、進んで右が埼新印刷社によりなされたものであるとの原告の主張については関口が同社の意を体してこれをなしたことを認めるに足る証拠がなく、従つて原告の主張は理由がない。

(七)  原告主張の事実中、昭和三九年一二月、中央アドの代表取締役武井兼雄が原告組合との交渉中に原告組合員二名に対して会社案による一時金の受領を勧めたことは、被告の自認するところであり、しかも証人松村幸男の証言によれば、武井は右組合員二名のみならず殆んど全組合員に対して前同様の方法を採つたこと、右の如く一時金の受領を勧めるときには、武井は大声でどなりつける態度であつたこと、並びに同人はその前年の年末一時金支給の際にも組合員を自動車に乗せ、夜中じゆう走らせたこともあつたことが認められるほか、同年夏季一時金の支給につき中央アドが一方的にその金額を決定し、もつて原告組合を無視したことについては、前記認定のとおりである。そして、以上の認定に反する証拠はない。然らば、武井の右行動は即ち中央アドによる原告組合の団結権に対する侵害だと云わねばならず、被告主張の如く前記二組合員が結局右一時金を受領しなかつたからといつて右を否定することはできない。

(八)  原告主張の事実は全て当事者間に争いがなく、証人松村幸男の証言によれば、掲示ビラの取りはずしを山口に要求したのは埼新印刷社の社長である斉藤静也であつたことが認められる。ところで、被告主張の如く、掲示ビラの掲示については掲示板からはみ出ざるようにする旨の合意が予め埼新印刷社および原告組合間になされていたとの点についてはこれを認めるに足る証拠はなく、かえつて、右証言によれば、それ以前にも闘争宣言等を該掲示板に貼る際にこれをはみ出したことが再三あつたにも拘らずこれを取りはずすべく、会社から要求を受けたことは一切なかつたことが窺われるのであり、従つて、斉藤による前記の如きビラ取りはずしの要求は些細なことに藉口して、原告組合の活動に介入したものと云わざるを得ない。

(九)  原告主張の事実中昭和四〇年五月一四日頃原告組合が訴外三社に争議行為を行なう旨通知したのに対し、埼新印刷社の取締役中田義信が同月二一日原告組合員を含む全従業員を一室に集めて右争議に対する会社の見解を述べたこと、会社が同月下旬頃、原告組合員宛に右争議は組合の暴走であるから各自は会社の将来を考えて自重されるよう望む旨を記載した「警告書」なる文書を郵送したことについては被告の自認するところ、埼新印刷社が同月原告組合員に対して原告組合よりの脱退を指導したことおよび社内食堂における給食について、非組合員に対してのみこれを支給したことをもつて被告が支配介入又は不利益取扱いと認定し、よつて右につき本件命令主文の如く救済したことは当事者間に争いなく、又埼新印刷社が本件の直前である同年四月原告組合が掲示ビラを掲示板に掲示するに際し、既に支配介入をなしたことも前記認定のとおりであつて以上の事実からすれば、埼新印刷社が右争議に関してなした前記諸行為はこれを原告組合の弱体化を図つた支配介入とせねばならない。

六、結論

以上認定のとおり前記五の(三)ないし(六)を除き訴外三社のなした諸行為は全て労組法七条一ないし三号の不当労働行為に該当することが明らかである。従つて、これらの諸行為が不当労働行為に該当しないとの認定のもとに原告の申立を棄却した部分は違法で取消を免れない。

よつて、原告の請求は理由があるからこれを認容することとし、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 小池二八 松沢二郎 神原夏樹)

(別紙)

本件申立の要旨

(一) 申立組合書記長松村幸男(以下松村という)に対する昭和三九年七月二二日付出勤停止処分、昭和四〇年一月一日付休職処分および同年三月一八日付懲戒解雇処分を撤回して原職に復帰させ且つ休職期間中の賃金差額および懲戒解雇から原職復帰に至る期間中の賃金を支払え。

(二) 三社別々に賃上げや一時金などを一方的に差別支給したりすることによつて組合無視の態度をとらないこと。

(三) 三社統一の団体交渉をすること。

(四) 申立組合員であることを理由に非組合員との間の差別待遇をしないこと。

(五) 会社は本命令交付後下記陳謝文をタテ一メートル、ヨコ二メートルの板に墨書きしたものを会社構内の正面玄関二階入口(埼玉新聞社掲示所)と平台わき、第二活版の塀(埼新印刷掲示所)の二ケ所に一四日間掲示すること。

陳謝文

当社が貴組合および貴組合員に対して行なつた次の行為はいずれも不当労働行為でありますので埼玉県地方労働委員会の命令により深い陳謝の意を表すとともに今後かかる不当労働行為は一切行なわないことを誓います。

〈1〉 書記長松村幸男に対して昭和三九年七月二二日付で出勤停止にし、昭和四〇年一月一日付で休職処分にしたこと。

〈2〉 組合の要求に対し、三社が別々に賃上げや一時金を一方的にかつ差別的に支給したこと。

〈3〉 会社が口頭ないし暴力によつて組合脱退を強要したこと。

〈4〉 三社統一の団交交渉を拒否していること。

命令書

(埼玉地労委昭和四〇年(不)第一号 昭和四一年五月二七日 命令)

申立人 埼玉新聞労働組合

被申立人 株式会社埼玉新聞 外二名

主文

一 被申立人株式会社中央アド・エイジエンシーは、申立人の組合員に対して、申立人を誹謗したり、または申立人からの脱退をすすめてはならない。

二 被申立人株式会社埼玉新聞は、申立人が申入れる団体交渉を、経営不振または組合員が少数であるとの理由で拒否してはならない。

三 被申立人埼新印刷株式会社は、申立人の組合員に対して脱退を指導したり、申立人が争議態勢に入つているという理由だけで、社内食堂での給食について申立人組合員と非組合員を差別してはならない。

四 申立人のその余の申立ては棄却する。

理由

第一認定した事実

一 当事者

(1) 被申立人株式会社埼玉新聞(以下「埼玉新聞」または単に「会社」という。)は、埼玉新聞の発行を主たる目的として、昭和三〇年六月二〇日に設立された資本金一、六〇〇万円の株式会社であつて、本店を埼玉県大宮市大門町二丁目九〇番地に、主たる事務所を埼玉県浦和市岸町六丁目一二番一一号においている。

被申立人埼新印刷株式会社(以下「埼新印刷」または単に「会社」という。)は、埼玉新聞の工務部が昭和三二年九月二四日に分離独立して、印刷の受託およびそれに付帯する業務を主たる目的として設立された資本金一千万円の株式会社であつて、本店を埼玉県浦和市岸町六丁目一二地一一号においている。

被申立人株式会社中央アド・エイジエンシー(以下「中央アド」または単に「会社」という。)は、埼玉新聞の広告局が昭和三六年一〇月二七日に分離独立した株式会社埼玉新聞観光事業部が、昭和三七年九月二五日現名称に商号を変更した資本金四百万円の株式会社であつて、新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、屋外広告などの企画、製作並びに代理業務を主たる目的とし、本店を埼玉県浦和市岸町六丁目一二番一一号においている。

(2) 申立人埼玉新聞労働組合(以下「組合」という。)は、埼玉新聞の前身である社団法人埼玉新聞の従業員約百名が昭和二三・四年頃に結成した労働組合であつて、その後、企業の組織が変更されてもそのまま存続し、さらに埼新印刷と中央アドが分離独立後には、それらの従業員の一部をも含む単一組織の労働組合として、今日にいたつている。

二 従来の労使関係

当事者らの関係は、昭和三二年頃までは、比較的に円満であつたが、同年九月に埼新印刷が分離独立した頃から、次第に対立的、且つ抗争的になつてきた。昭和三〇年頃から同三八年一二月頃までの両者の関係の推移を見ると、大体、以下のようである。

(1) 労働協約の締結

組合と埼玉新聞は、昭和三〇年六月二一日に労働協約を締結した。この協約中、その後の当事者間の紛議および本件の判断に関係のある条項を摘記すると、下記のようなものがある。

第五条 会社の従業員は、左の条項に該当する者を除き、この組合に加入する。但し組合員は、会社の従業員でなければならない。

一 局長、局次長、部長、課長

(以下第二項より第五項まで省略)

第七条 会社は、組合員に重大なる影響を及ぼす会社の合併、売却解散、譲渡縮少、事業場の閉鎖、長期休業、廃刊その他経営上の改変を行う場合、予め組合と協議する。組合は、改組または上級団体への加盟などについては会社に通告する。

第一〇条 会社は、業務の都合によつて組合員の異動転勤を命ずることがある。但しこの場合、組合の意向を聴く。異議のある場合、組合はその申立が出来る。

第一五条 懲戒による人事は予め組合と協議する。

第四二条 次の場合は原則として休職とする。

(第一号乃至第三号および第五号省略)

(4) 第四七条に該当するとき

第四六条 懲戒は次の四種としすべて組合と協議してきめる。

一 戒告 始末書をとり将来を戒告する。

二 減給 期間は三カ月以内とし減率は組合と協議する。

三 休職

四 解雇

第四七条 次の各項の一に該当するときは組合と協議のうえ戒告、減給、休職とする。

(第一項乃至第五項省略)

六 業務上の過失により会社に損害を与えた者

七 悪質な法令違反

第四八条 次の各項に該当するときは、組合と協議のうえ懲戒退職又は解雇する。但し情状により前条に止めることができる。

一 刑法その他の法令に規定する悪質な犯罪を犯し有罪となつた者

二 故意に会社の名誉、信用を著しく失墜した者

三 故意又は怠慢により会社の設備機械を破壊し、または重大な災害、傷害の事故を発生させた者

四 会社に無断で他に就職又は通常勤務に妨げとなる自己業務を営む者

五 前条に掲げる行為をしばしば犯し改悛の見込ない者

第六二条 組合は勤務時間中は組合活動を行なわない。但し会社は業務の妨げにならない限り組合活動の便宜を与える。

第六八条 会社組合間に紛争議の生じた場合は自主的かつ良識的な交渉により、解決に努力する。反覆交渉しても妥結できなかつた紛争議は、所管の地方労働委員会に斡旋を申請する。その斡旋勧告に基いて双方解決に努力する。地労委の斡旋申請は相手方の同意を要しない。

第六九条 前条の斡旋が不調に終つた場合は、改めて当事者間の直接交渉を再開する。その交渉が解決の見込みないときは、更に地労委の調停に付するものとし、示された調停案によつて解決をはかる様双方努力する。

地労委の調停申請は、相手方の同意を要しない。調停案が示され双方之を受諾した場合、その調停案の解釈適用について争がある場合には地労委の解釈に従う。

第七一条 会社、組合は、協約の有効期間中は第六八条乃至第六九条に規定する一切が完了する迄は全体としても部分としても怠業、罷業或は工場閉鎖など一切の争議行為を行わない。

第七二条 会社又は組合が、やむをえず争議行為に入るときは一週間前に相手方に文書を以て通告する。

(2) 埼玉新聞の就業規則

埼玉新聞の就業規則第四一条には「従業員が左の各号に該当するときは休職とする。」とあり、つぎにこれを受けて同条第四号は「懲戒のとき。」、同第五号は「前各号の外に、特別の理由により本社が必要と認めたとき。」と定められている。また、その第四四条によると、「休職期間中のものには本給手当(皆勤手当を除く)の七割を支給する。」となつている。

(3) 埼新印刷および中央アドの分離独立に対する組合の態度

埼新印刷は昭和三二年九月に、中央アドの前身株式会社埼玉新聞観光事業部は同三六年一〇月に、それぞれ埼玉新聞から分離して独立した。埼玉新聞は、これらを労働協約第七条に該当する場合と考えて、その都度、組合と協議した。その際には、その分離独立の目的、それが組合の組織や組合員の労働条件に及ぼす影響などについて、会社と組合との間に多少の意見の対立はあつたが、結局、組合はこれを了承した。なお、特に広告局の分離独立に当つては、昭和三七年一〇月一日付で組合と被申立人らとの間に、(1) 週三回八頁建て増頁と定価の値上げ、(2) 社屋の譲渡、(3) 広告局の分離については、三社の代表者は、労働協約に基づいて埼玉新聞労組との統一交渉に応じる旨の覚書が交換された外、組合、埼玉新聞、中央アドの三者間で埼玉新聞から中央アドへの出向組合員には従前の労働協約を適用し、且つ賃金、退職金、年次有給休暇制は出向時のまま引継ぐことという協定が成立した。

(4) 昭和三八年頃までの組合の活動状況

組合の活動は、昭和三一年頃までは低調であつたが、同三二年三月頃から次第に活発になつてきた。そして組合は、組合員の子女の進入学手当や定期昇給制度などについて協定したり、組合の機関紙「輪転機」を定期に発行するようになつた。

しかし、昭和三五年頃には再び低調になつて、被申立人らとの間に同年から向う三年間にわたる臨時給与の総額および夏期と年末の両手当の配分比率を定める、いわゆる年間臨給制を締結するにいたつた。だが、昭和三七年三月頃から再び組合の活動は活発化して、先に締結した年間臨給制を破棄するために、スト権を確立するという状態になつた。また、昭和三八年二月には、組合は会社の執行委員長松村幸男に対する飯能支局長への配転命令に抗議してこれを撤回させ、同年の年末一時金要求では、遂にストライキを実施した。

三 昭和三九年以降の労使関係

(1) 中央アド会の発足とその活動

昭和三九年一月、中央アドの従業員三倉瞭および沖垣一郎は、「中央アド会(仮称)結成の主旨」と題するビラを、同社の全従業員に配布した。その内容の要旨は、今年こそわが社の決戦の年なので、われわれ従業員としては社業発展に協力する使命を自覚せねばならない。そこでわれわれとしては、義務を十二分に果すとともに、権利も十二分に主張するために、志を同じくする人を集めてこの会を発会したいから賛成の者は申込んで欲しいというものであつた。

この中央アド会は、申立人組合とは別個の組織であるが、後の組合執行委員長須藤種一ら申立人組合の組合員を含む、同社従業員のほとんど全員がこれに加入し、同年六月には、従来組合員が嫌悪していた年間臨給制を会社と締結した。

(2) 被申立人らからの組合宛文書の書式の変更

被申立人らは、従来、組合宛文書の名宛人を埼玉新聞労働組合執行委員長何某殿としていたが、昭和三九年二月末頃からはその中の組合名を省略して、単に執行委員長何某殿と書いたものが見られるようになつてきた。

(3) 昭和三九年度夏期一時金要求に対する被申立人らの態度

組合は、昭和三九年六月一〇日の臨時大会で、同年の夏期一時金について三社共通の要求額を決定し、そのために組合と三社が同一時間、同一場所、同一議題で行なう団交、いわゆる統一団交を三社へ申入れた。ところがこの組合の要求に対して三社は、各別の内容の回答を各別の日付で行なつた。すなわち埼玉新聞は同年六月二三日付の「お知らせ」と題する文書で、埼新印刷は同四日付「お通知」と題する文書で、および中央アドは同十日付の「通知」と題する文書で、それぞれ異なる内容を回答した。組合は、このような被申立人らの態度に不満であつたが、結局、各社別の交渉によつて、各社毎にその額を協定した。

(4) 組合員松田勝子の勤務部署の変更

埼新印刷の従業員松田勝子は、昭和三九年四月頃に会社から、それまで勤務部署第二活版部(午前九時から午後五時まで勤務)から第一活版部(午後一時から同九時まで勤務)への配置換えの交渉をうけた。同人は、第二活版部の方が終業時間が早い上に、公休日が日曜なので都合がよいと思つたが、会社の事情も考えて当時、第一活版部の整備見習であつた妹を第二活版部の本工にすることを条件に、この部署の変更を承諾した。

なお、会社は、この松田の勤務部署の変更は労働協約第一〇条には該当しないと考えて、組合の意向は聴かなかつた。また組合も、別に同条による異議は申立てなかつた。

(5) 埼新印刷における作業の内容

埼新印刷においては、外注品が多くて発送関係の仕事が忙しい時には、営業や第二活版部の従業員に対しても、発送の仕事を手伝わせることがあつた。その作業の内容は、外注の印刷物の梱包を運搬車で発送口まで運搬する作業で、その梱包の大きさは大体、縦横三〇センチ位、高さ五〇センチ位、重量七キロから二〇キロ位のものであつた。その回数は一週間に一回位であり、会社はこの作業について組合員と非組合員とを差別せず、この作業時間に対しては、基準賃金の五〇パーセントの割増賃金を支払つている。

(6) 組合執行委員長須藤種一に対する中央アドの態度

イ 須藤種一に対する武井兼雄の言動

中央アドの代表取締役(当時)武井兼雄と同社従業員で組合執行委員長(当時)須藤種一とは、帰宅の方向が同一であつたので武井が自動車に須藤を同乗させて、途中まで一緒に帰えることがしばしばあつた。

昭和三九年一二月末、武井は自動車に同乗していた須藤に向つて、「君がいつまでも組合に入つているならば、アド会全員の信用を失い、反目されるだろう。今の組合は正常ではない。正常な組合ならば、会社側と話し合いで行くべきである。君は書記長の松村におどらされている。松村は猿廻しだ。猿廻しの猿になるな。」などと話しかけた。

ロ 須藤種一に対する佐藤博人の言動

中央アドの常務取締役(当時)佐藤博人は、昭和三九年一二月一一日午後九時頃、埼玉県深谷市に所在する上記須藤の自宅を訪ねて、会社がその日に組合員以外の従業員に支給した年末一時金を同人に手交した。なお須藤は、その三日前から病気欠勤中であり、当時年末一時金についての組合と会社の話合いはいまだ妥結していなかつた。

(7) 組合員山口孝義に対する埼新印刷の態度

イ 山口孝義に対する斎藤静也の暴力行為

昭和三九年一一月一七日午前九時頃、埼新印刷の従業員山口孝義(組合員)が、総務課員としての職務である在庫資材の調査のために、埼玉新聞編集局と共用している社屋二階の資材置場へ行くと、丁度そこへ埼新印刷常務取締役(当時)斎藤静也が出勤してきた。また、そこには後述する事情で出勤停止処分中の組合書記長(当時)松村幸男も来ていて、受付の女子事務員と話合つていた。斎藤は松村に向つて、「出勤停止処分中の者は、就業時間中は組合活動を禁止されている事務所へ入つてはいけない。」と告げた。しかし、松村は退去しなかつたので、斎藤は同人の胸へ手を当てて室外へ押し出した。これを見た山口が、斎藤に対して暴力はいけないというと、斎藤は同人に対して、「松村を何故に会社へ入れたのか。前から就業時間中は、松村を事務所へ入れないように言つてある。言いつけられた仕事ができないのなら、会社を止めろ。」と大声で怒鳴りつけた上に、傍らにあつた新聞紙約一日分を棒状に丸めて、山口の頭を叩いた。

山口が、その場で斎藤を難詰すると、同人は「俺が悪かつた。」と詫び、このことで組合の抗議をうけると、組合の執行委員会へ出向いて謝罪した。

ロ 関口喜佐夫の山口の義兄に対する言動

埼玉新聞業務販売部の担当員関口喜佐夫は、昭和三九年一二月一五日頃、組合員山口孝義の義兄で埼玉新聞の販売店を営む小林利行を埼玉県白岡町の自宅に訪ねて、約数分間にわたつて山口の組合活動について話し、同人に組合を脱退するよう勧めて欲しいと依頼した。

(8) 昭和三九年度年末一時金要求に対する被申立人らの態度

組合は、昭和三九年一〇月三一日の臨時大会で、同年の年末一時金を三社同額で要求することに決定し、三社統一団交を各社へ申入れた。しかし、三社の回答は、その金額も日付も別々であつたので組合は、埼新印刷と中央アドとは個別に団交したが、埼玉新聞は経営が困難である上に、従業員中に組合員は二名だけであるという理由で、団交申入れを拒否した。

この年末一時金をめぐる紛議は、結局、当委員会の三社共通の調停案によつて解決したが、この調停事件が係属中に三社は、それぞれ職制および非組合員に対して、会社案による一時金を支給した。この際、中央アドの上記武井兼雄は、組合員山田正則および近藤清策に対してもその受領を勧めたが、同人らはこれを拒否した。

(9) 組合の掲示に対する埼新印刷の抗議

昭和四〇年四月頃、埼新印刷の上記斎藤静也は、組合の書記長(当時)山口孝義に対して、組合の掲示ビラが掲示板の枠からはみ出しているのは不都合であるから、取り外すようにと要求した。

(10) 組合員に対する中村整備課長の脱退指導

埼新印刷の整備課長(当時)中村勝美は、昭和四〇年五月下旬同社の鋳造職場の組合員長島某に対して、組合脱退届の書き方を教えた上に、そのひな形を書いて与えた。しかし、同人は脱退しなかつた。

(11) 組合の争議行為に対する被申立人らの批判的言動

組合は、昭和四〇年五月一四日付文書で被申立人らに対し、同月二一日から随時、時限ストを含む行議争為を行なう旨を通知した。これに対して被申立人らは、全従業員に組合の行動を暴走と非難するビラを配布した。また埼新印刷の取締役(当時)中田義信は、同月二一日朝、組合員を含む同社全従業員を一室に集めて、組合と会社との交渉の経過、本争議に対する会社の見解を述べ、且つ従業員に対して会社への協力を要請した。

また埼新印刷は、同月下旬頃組合員全員に宛てて、警告書と題する文書を郵送した。その要旨は、今次の争議は組合の暴走であるから、各自は会社の将来を考えて自重されるように望むというものであつた。

四 組合と被申立人らの団交方式

上記のように埼新印刷および中央アドは埼玉新聞からそれぞれ分離独立したものであつて、その従業員も最初の頃は埼玉新聞からの出向者が大部分を占めていた。そこで組合は、組織の維持、組合員の労働条件の擁護および交渉の便益などを理由として、終始、三社との統一団交方式を要求してきた。これに対して被申立人らも、最初の頃はその設立の事情や役員に兼職者が多かつたことなどの事情から、組合の要求に応じてきた。ところが組合が、昭和三九年二月二六日の大会の決議にしたがつて三社に対し、賃上げその他についての統一団交を要求すると、各社はこれを拒否して、別々の内容を別々の日付で回答してきた。組合は、被申立人らのこのような態度は、労働協約および上記昭和三七年一〇月一日付の覚書違反であると主張して、同年四月にさらに三社に対して統一団交を申入れたが、被申立人らは各別の文書でこれを拒否して、その後も統一団交は開かれていない。

五 組合書記長松村幸男に対する懲戒解雇

(1) 松村幸男の職歴と組合役員歴

組合の書記長(本件申立当時)松村幸男は、昭和二六年四月埼玉新聞の前身社団法人埼玉新聞に入社し、その後、同社が株式会社に改組されてからも引続いて編集局報道部に勤務していたが、昭和三三年二月には神田青物市場詰めに配転となり、続いて同年四月には春日部支局、翌三四年一月には朝霞通信部、同三月には所沢通信部と転々し、昭和三六年八月には川口支局詰めになつた。

その後、同人は昭和三八年二月一三日付で飯能支局長に発令されたが、当時同人は組合の執行委員長であつたので、組合活動に支障を生ずるからと組合が抗議した結果、会社がこの命令を撤回したことは、上記認定のとおりである。

つぎに同人の組合役員歴を見ると、同人は入社の約六カ月後に組合に加入し、昭和三二年三月から一カ年間書記長、同三五年一月から翌三六年六月まで副執行委員長、さらに同年八月にも副執行委員長に選出された。その後も昭和三七、三八年の両年度にわたつて執行委員長、本件申立て当時の昭和四〇年一月には書記長、同年四月から審問終結時の同四一年二月までは、副執行委員長の地位にあつた。また同人は、昭和三七年三月からは組合の上部団体である日本新聞労働組合連合(以下「新聞労連」という。)の中央委員を兼ねている。

(2) 松村幸男に対する出勤停止措置

埼玉新聞は、昭和三九年七月二二日付の業務命令書と題する文書によつて、松村に対して出勤停止措置を行なつた。その文書の要旨は、会社は昭和三九年七月一七日に同人を詐欺容疑で浦和警察署に告訴したから、追つて社命があるまでは本社または川口支局へ出勤してはいけないというものであつた。

(3) 埼玉新聞が松村幸男を告訴するにいたつた事情

イ 埼玉新聞における経費制度の慣行

埼玉新聞では、各支局や通信部の記者が記事の取材に要した交通費、電話料、オートバイやスクーターのガソリン代および修理費、自転車のパンク修理費、写真フイルム代、現像料などの外、記者クラブ会費、区域内官公署の役職者の歓送迎会費、家賃や間代の補助金などを含めて経費と称し、会社支給のノートへその支出月日、摘要(支出費目)、金額、支払先、支払者名、領収書の有無などを記入する外、可能な限り、領収書を添付して、一カ月毎に締切つたものを翌月五日までに本社へ請求させ、本社はこれをその月の十日に支払う慣行になつていた。

なお、この経費の請求については川越、熊谷および東部の各総局管下の各支局や通信部の場合は、各記者の経費ノートは支局長が点検して総局へ送り、総局長がさらにその内容を検討して本社へ送ることになつていたが、川口支局の場合は直接に本社へ提出することになつていた。本社における経費ノートの処理は、まず通称デスクとよばれる編集局報道部長が各ノートの支出費目や金額についての当否または誤算の有無などを調べ、意見があればその余白に記入して編集局長へ廻し、さらに局長が目を通して、正確なことを確認して押印した。局長の押印を得たノートは、支払いのため業務部総務課へ廻し、総務課長はこれを経理事務の担当者としての立場から検討して、差支えがないと認めたものは経理担当役員の承認印を得て支払う順序になつていた。

なお、松村の経費請求については、同人が浦和市内から通勤している事情を考慮して、公衆電話使用料として特に一カ月一千円の打切り電話料が、領収書なしで認められていた。

ロ 松村幸男の経費請求についての紛議

松村は、昭和三七年一〇月分の経費として、同月二三日の「川口元郷郵便局員の使い込み取材」のためのタクシー代五四〇円を含めて、合計一〇、八二七円を請求した。編集局長(当時)松本一朗は、同人のノートへ「デスクは十分時間の余裕を与えて取材させており、タクシーの必要は認められない。妥協案として、半額を負担することにする。(故に)二七〇円復活。また上記の金額合計(訂正した方)に誤りがあるので、これも訂正する。結局の合計は〔10,827(当初のもの)-270=10,557〕となる。」と付記してから押印して、これを総務課へ廻送した。そして松村に対しては、結局、この一〇、五五七円が支払われた。

また、同人の昭和三九年三月分の経費は、上記打切り電話料を含めて合計九、九五四円であつた。これに対してデスク(当時)志賀侃は、松村の記事原稿が前年一一月頃から減少しているのに、経費は減少していないのに不審をいだいて、すでに二、三度同人に注意を与えていた際でもあつた上に、松村は同月は組合大会などで一週間欠勤していることからして、打切り電話料の全額を請求したことは不当であると判断した。そこで同人の経費ノートへ、「今月の警戒電話料は、一週間分はないはずだと思う。」と付記して、警戒電話料を七五〇円に訂正し、また合計金額も九、七〇四円に訂正してから、ノートを編集局長(当時)角田吉博へ廻した。

この志賀の意見は、角田および高野総務課長、経理担当取締役杉山好治によつても承認されて、松村に対してはこの訂正額が支給された。

なお、上記二回の金額訂正について、松村からは別に異議の申立てはなかつた。

松村は、翌四月分の経費として、合計一〇、一九五円を請求した。その中、電話使用料としては川口警察署分二、四五七円、蕨警察署分四六二円、川口市役所分二、八五六円(合計五、七七五円)の外、二四日間の公衆電話による警戒電話料として一、四四〇円があり、結局、同月の電話料は七、二一五円になつていた。これについてデスクの志賀は、同人のノートへ「電話料が同じ条件の越谷三、二二一円に比べてかなり高い。使い方に無駄があるのではないか。」と付記していた。

松村の昭和三九年六月分の経費ノートは、翌月八日に編集局へ提出された。それによると、合計額は従来の平均を約六、〇〇〇円上廻る約一六、〇〇〇円であり、しかもその中には、かねて問題になつていた電話料が約七、二〇〇円含まれていた。それで上記の志賀や角田は、そのノートに「経費が非常に多い。特に電話料が他の通信部に比べて多いではないか。節約をのぞむ。」と付記してからこれを総務課へ廻した。総務課長(当時)高野昇もこれを検討したが、松村の電話料が他の通信部に比して一カ月平均二、〇〇〇円乃至三、〇〇〇円多いことが判明した。そこで高野は、角田に対して松村の電話料の中で市内と市外および県内と県外の比率がどのようになつているのか、調べて欲しいと依頼した。

この依頼をうけた角田は、かねて松村が新聞労連の中央委員であることを知つていたので、あるいは同人が組合用務で長距離電話を使用しているのではないかという疑念をいだいて、早速、松村をよんで、その釈明を求めた。ところが同人は、これを否認して朝から晩まで上記三カ所へ、三〇分おきに警戒電話を入れているからだと説明した。角田は、それは行き過ぎだと注意した上で、再び松村のノートを総務課へ回付した。しかし、高野としては、経理事務担当者としての責任上、もう少しこの間の事情を明らかにしたいと考えて、直接に松村に会つて上記の件について尋ねた。すると松村は、「そんなことは判らない。必要ならば勝手に調べたらよいではないか。」と答えたので、高野は止むなくまず蕨警察署へ電話して尋ねた所が、当署としては松村記者に電話料を請求したこともないし、勿論、その支払いを受けたこともないという回答であつた。高野はおどろいて、これは実際に調査せねばならないと考え、自身で同署を訪ねて会計事務の責任者に質問すると、先刻の電話の場合と同様の回答であつた。そこで高野は、さらに川口警察署および川口市役所を廻つて、それぞれ会計事務担当者に同様の質問をしたところが、上記蕨警察署とほぼ同じ返事であつた。また高野は、川口警察署で松村の前任者野口貢一の場合についても尋ねたところが、野口の場合は実際に使用した分の料金を受領していたという返事を得た。高野は、帰社後、直ちに調査の結果を角田に報告した。

角田は、これは重大なことだから自分で調査する必要があると考えて、七月一〇日頃自ら川口警察署と川口市役所を訪ね、会計事務担当者に松村から、電話料を受領しているかどうかを尋ねた。すると両者とも、そのような受領書は出したことはないし、また松村からは電話料は一円も受取つていないという返事であつた。そこで角田は、本人を追及する必要があると考えて即日、松村をよんで事情を聞いたところ、「そんな馬鹿なことはない。チヤント領収書がついているではないか。こんなことを調べてどうしようというのだ。」と反問してきた。

なお、角田は同日頃に上記高野に命じて、専用電話がないという点では川口支局と同じ条件の越谷および加須通信部の電話料の支払い状況を調べさせた。高野は、両通信部の電話借用先である両市役所の事務担当者に会つて、その点を尋ねたところ、両市から経費ノート記載通りの金額を受領しているという、文書による回答を得た。

角田は、松村の返事を聞いて最早これは自分一存では処理できないと考えて、その翌日頃に開かれた常務役員会へ上記事実を報告した。すると代表取締役副社長(当時)高木稔は、役員会として結論を出す前に自分が角田と同席して、松村に会つて事情をさらに確かめたいと述べて、一同の承認を得た。そして高木と角田は、七月一三日に松村に事情を尋ねたところ、同人は最初は領収書の通りであると答えたが、後には、これまでは領収書の通りに支払つていたが、ここしばらくは警察署や市役所から請求がないので、後日に一度に請求されては困るから毎月の経費で請求しておいたと答えた。高木や角田が、それではその金額は積立ててあるのかと尋ねると、松村はその金は月給が安いから使つてしまつたと答えた。高木および角田は、それでは何月分まで支払つてあるのか調べて欲しい。また君として、この問題をどのようにして解決する心算か考えておいてくれと告げ、松村もこれを了承して第一回の会談を終つた。

第二回の会談は、七月一六日午後、高木、角田のほかに上記松本も同席して開かれた。まず会社側が、前回の返事を聞かせて欲しいというと、松村はそのような約束をした覚えはない。すべては添付の領収書の通りだ。こんなことを調べて一体どうしようというのだと開き直つた。高木らは、会社としては、君の考えを聞いた上でこの問題を処理したいのだから、君の考えを言つて欲しいと再三にわたつて説得に努めたが、松村はすべて領収書の通りだというだけであつた。それで高木らは、それではわれわれの手では事の真相は明らかにできない。ことここに至つては会社としては、君を告訴して事件を司直の手に委ねる外はないと同人に告げて、この会談を打切つた。

ハ 松村幸男に対する告訴および出勤停止措置とそれをめぐる紛議

埼玉新聞は、上記のように七月一七日に松村を浦和警察署に告訴するとともに、翌一八日組合に対して同人を懲戒解雇したいからと、労働協約第一五条および第四六条による協議を申入れた。しかし組合は、協議はできないが説明なら聞くという態度に出て、一応、この事件についての会社側の説明を聞いた。そして七月二〇日に臨時大会を開いて、松村の告訴取下げを会社に要求する闘争を行なうことを決定した。会社は、この組合の態度を見て松村の懲戒解雇を一時保留して、改めて同人に対して七月二二日付で上記のような出勤停止の業務命令を発した。組合は、この処分についての団交を申入れたが、会社は、これは懲戒ではなくて業務命令であるとして、同年八月四日付および同一〇日付文書で団交拒否の回答を行なつた。なお、会社は、この八月一〇日付の回答書の中で、松村は出勤停止中でも一時金、定昇、昇給の対象となると述べている。

(4) 松村幸男に対する休職処分とそれをめぐる紛議

埼玉新聞は、昭和三九年一二月三一日付文書をもつて、松村に対して昭和四〇年一月一日から一カ月間の休職処分に付する旨を通知した。その文書には、処分の根拠として、就業規則第四一条第五号並に労働協約第四二条第四号、同第四七条第六号および第七号が挙げられていた。なお、就業規則第四四条によると、休職期間中は本給の七割が支給されることになつている。

ところで会社は、この処分を行なうに当つて上記松本から、組合の執行委員を通じて口頭で組合と協議したい旨を申入れたが、組合からは何の回答もなかつた。また会社は、昭和四〇年一月一四日付文書を以て松村に対し、同人が昭和三六年九月一〇日から同三九年六月一〇日までに川口警察署、川口市役所および蕨警察署に対する電話使用料として会社から受領した電話料合計一七九、八五九円は、未払いであることが判明したから本月末までに当社へ返済されたい。もしその返済がない場合は、会社は法律上の手段をとる旨を申し送つた。これに対して松村は、同月二九日付会社宛の文書で、会社が返済を請求する金額は取材費として従来の慣行に従つて受領したものであり、それは会社も認めていたものである。したがつて支払う必要がないばかりか、自分に対してだけ返済を請求することは不当労働行為であるから、直ちに撤回されるよう要求すると回答した。

会社は、さらに二月三日付文書をもつて松村に対し、依然として、自己の非を認めず不正に取得した金円の返還を拒否しているが、改悛の情を示すならば、寛大な処置をとる用意がある。よつてこの文書到達後七日以内に会社に出頭して、編集局長に始末書を提出して返済の意思表示をするとともに、その返済の方法について協議されたいと通知した。しかし、松村は、これに対して二月一〇日付文書をもつて、このような会社の態度は不当労働行為であるばかりか労働協約にも反する行為であるから、取材費返還請求および一切の不当労働行為の中止と職場復帰を要求すると回答した。

(5) 松村幸男に対する懲戒解雇

埼玉新聞は、上記のような経緯を経てから役員会を開いて松村に対する処置を協議した。その結果、会社は三月一八日付の文書をもつて同人に対し、これまで会社は数回にわたつて反省の機会を与えてきたが、依然として自己の非を認めず不正取得の金円の返還にも応じないので、懲戒解雇に付すると通告した。

なお、会社は、この松村の懲戒解雇処分を行なうに当つては、別に組合に対して協議の申入れをしなかつた。

六 昭和四〇年五月の争議中に、埼新印刷が行なつた差別的取扱い

(1) 争議発生までの事情

組合は、昭和三九年夏被申立人らに対して一率三、〇〇〇円の賃上げ、組合事務所の供与および退職金の一括払いを要求し、何回かの団交を重ねたが解決しなかつた。そこで組合は、労働協約第六八条および第六九条に従つて、この紛議を当委員会の調停に持ちこんだ。しかし調停委員会としては、当事者の主張の差が余りにもはなはだしいので、遂に調停案を提示しないまま同年一〇月一二日に調停を打切つた。その後、組合は、翌四〇年四月一四日の大会で昨年の要求を再確認して、その貫徹のためにはストライキを含む争議行為を行なうことを決定した。組合は、その後、埼玉新聞とは一回、埼新印刷とは三回、中央アドとは一回のそれぞれ団交を行なつたが、どの社からも満足な回答は得られなかつた。そこで組合は、五月一四日付文書をもつて被申立人らに対し、五月二一日から、随時、時限ストを含む争議行為を行なう旨を通知した。そして組合は、五月二一日から約一週間内に、三〇分ないし六〇分にわたる時限ストを数回実行した。

(2) 争議の解決

組合は、この争議中に埼新印刷に対して夏期一時金と四月一日からの賃上げを併せて要求して、六月一九日から数回の団交を行なつた。しかし会社は、組合は目下、別の要求をかかげて争議を行なつていることを理由に、これらの要求には具体的な回答をしなかつた。そしてこの紛議も、同年七月一二日付で当委員会のあつせん事件として係属したが、両者間に同月一五日協定が成立し、組合も同日争議態勢を解除した。

(3) 本争議中における組合員に対する差別的取扱い

上記のように、組合が五月二一日から争議態勢に入ると、埼新印刷は職制および非組合員に対してだけ、栄養補給と称して休憩時間や食事の時などにジユース、アイスクリームなどを支給したほか、争議解決に至るまでりんご、バナナ、夏みかんなどを二、三回支給した。

また五月二三日からは、同じく職制および非組合員に対してだけ、その日に完成した社内食堂で食事を無料で支給した。その時に職制の中には組合員に向つて、「君らも組合をぬければ食べられるぞ。」と放言する者もいた。会社は、この争議中、非組合員との間に残業協定を結んで、彼らにだけ早出や残業をさせた。ただし争議解決後は、会社は組合員にも食事を支給しているし、また残業についての差別も行なつていない。

第二判断

組合は、上記認定した事実の三、四、五、六に列挙された被申立人らの行為は、いずれも労働組合法第七条第一号乃至第三号に該当する不当労働行為であると主張して、その救済の内容として(イ)三社別々に賃上げや一時金などを一方的に差別支給したりすることによつて、組合無視の態度をとつてはならない。(ロ)三社統一の団体交渉をすること。(ハ)松村幸男に対する出勤停止、休職および懲戒解雇の各処分を取消して原職に復帰させ、且つ休職期間中の賃金差額および懲戒解雇から原職復帰にいたる期間中の賃金を支払え。(ニ)組合員であることによつて、非組合員との間に差別待遇をしてはならない。(ホ)組合および組合員に対する謝罪文の掲示等の五項目の命令を求め、被申立人らはそのすべてについて不当労働行為の成立を否認して棄却を求めているので、以下、順次これらの諸点について判断する。

一 認定した事実の三に列挙された諸事実について

(1) 中央アド会の発足とその活動について

中央アド会が、昭和三八年末の組合の争議の直後に結成されたこと、その「結成の主旨」には社業の発展に協力することが強調されていること、および組合が嫌悪していた年間臨給制を会社と締結したことなどは、その性格が第二組合的のものであることを推測させる。しかしこの中央アド会の発足と活動をもつて被申立人らの組合に対する支配介入であると断定するためには、それが被申立人らの何らか具体的な影響の下に結成され、且つその意思決定についても両者間に密接な連絡のあつたことの事実の主張と、その疎明がなされなければならない。しかるにそれがなく、加えて組合が、その後、中央アド会の会員である須藤種一をそのまま執行委員長に選出していること、および組合はこの中央アド会の結成や活動について、別に被申立人らに抗議もしていなかつたという事実などから判断すると、この点についての組合の主張は認容できない。

(2) 被申立人らからの組合宛文書の書式の変更について

組合は、これは被申立人らが、組合を無視または軽視していることを示す具体的事実であると主張する。しかし、たとえ組合名は省略されていても、文書の名宛人として執行委員長と明記されている以上は、その文書が単なる個人宛のものではなくて、組合の存在を承認した上での組合宛のものであることは一見して明白である。その外、被申立人らが昭和三九年二月以後に差出した組合宛文書の中には、名宛人を埼玉新聞労働組合執行委員長何某殿としたものもあることが認められるから、この点の組合の主張は採用できない。

(3) 昭和三九年度夏期一時金要求に対する被申立人らの態度について

組合は、このような被申立人らの態度は、組合に対する支配介入であると主張する。そこで考えてみると、労働条件が労使対等の立場で決定されなければならないことは、労働基準法第二条第一項に明示されているところである。ところが被申立人らが、組合の昭和三九年度夏期一時金要求に対する回答として、「お通知」とか「お知らせ」、または「通告」などと題する文書を組合宛に発して、一見あたかも一時金は会社側において一方的に決定、支給するかのような態度に出たことは、この原則を無視したかのような感を与えるものがある。しかし、これら会社からの組合に対する文書は、一時金支給に関する会社側の回答もしくは支給案の提示に過ぎず、支配介入とは認められない。

(4) 松田勝子の勤務部署の変更について

組合は、埼新印刷が松田勝子の勤務部署を第二活版部から第一活版部へ変更するに当つて、組合の意向を聴かなかつたことは労働協約第一〇条違反であり、且つそれは同人が組合員であることを理由とするものであるから労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であると主張する。

ところで労働協約第一〇条の「異動転勤」については当事者間で解釈が一致していない。この点については、その後、埼新印刷が昭和四〇年一月一日付で組合員小林章造を第一活版部から第二活版部へ移した時にも組合の意向を聴かなかつたが、組合はこれに対して別に異議を申立てなかつた事例のあつたことが認められる。また一般的にいつても、労使が労働協約によつてこのような取り極めを行なうのは、元来、経営権の内容として使用者が一方的に行なうことができる異動転勤について、もしもそれが組合の組織運営に影響を及ぼしたり、または組合員の労働条件に重大且つ不利な変更を加えるものである場合に、組合が団結権の維持と本人の利益擁護のために当事者間に介入して、使用者と交渉できるようにするためのものであると解するのが相当である。したがつて本協約の場合についても、ここでいう異動転勤とは本人の職種、職場、地位などの重大な変更を指すものであつて、労働条件についての一切の変更をいうものではないと解される。

これを松田の場合について見ると、同人は主として外注品の印刷に従事する第二活版部から、主として新聞の印刷に当たる第一活版部へ変つただけであつて、その職種、職場は同一であり、ただ就業時間と公休日に変更があつただけであるから、本条のいう異動転勤には該当しないものというべきである。また、たとえこれが本条に該当するとしても、単に労働協約に違反したというだけでは不当労働行為は成立しないのであつて、組合としては、その外にこの異動転勤が本人が組合員であること、もしくは組合の正当な行為をしたことの故をもつてなされたか、またはそれが組合の組織運営に対する支配介入であることを立証せねばならない。ところが本件においては、組合は単に松田が組合員であることを主張するだけであつて、その余のことについては何ら疎明するところがない。

これに対して会社は、第一活版部に退職者が出たので仕事と職場に馴れている第二活版部から補充することにしたこと、松田が当時の第二活版部勤務者の中で通勤距離が最も短かくて第一活版部へ移すのに適任者であつたこと、および同人の希望を聞いてからその条件を受入れた上での異動であつたことなどを疎明しているので、この点についての組合の主張は認められない。

(5) 埼新印刷における作業の内容について

組合は、これを埼新印刷の一方的且つ強圧的な労務管理の例証として非難するとともに、不利益取扱であつて不当労働行為であると主張する。しかし、このような作業が、特に組合員に対してだけ差別的に課せられたとかまたはそれによつて組合の組織運営に支障が生ずる恐れがあるという主張および疎明がないので、これを認容することはできない。

(6) 須藤種一に対する中央アドの態度について

中央アドの代表取締役武井兼雄が、組合の執行委員長須藤種一に対して述べた言辞は、同人らの地位、その内容、その時期が松村の処分をめぐつて組合と被申立人らが抗争中であつたこと、および須藤がその後その進退をめぐつて会社と紛議を起し、翌四〇年五月一一日に退職するにいたつたことなどを併せ考えると、これは組合の団結権に対する不当な侵害であつたといわねばならない。もつとも武井としては、須藤との間の平常からの個人的親近感から出た不用意な言辞であつたと見られる節もあるが、この種の言動についての評価は客観的でなければならないから、これは正に労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為と見るべきである。

なお、須藤は、本件審査中に退職していることが認められるが、この武井の言辞は組合の執行委員長としての須藤に向つて述べられたものと解されるし、その上に武井はその後も引続いて代表取締役の地位にあるのであるから、この種の行為が将来もくり返される恐れがあるといわねばならない。よつてこの点にいつては、主文のように救済する。

つぎに組合は、中央アドの佐藤博人が須藤種一の自宅を訪ねて、まだ労使間で妥結に至つていない年末一時金を手交したことは、組合を無視してその団結権を侵害する行為であると主張する。しかし、当時、中央アドは、年末年始の広告の企画や製作で多忙をきわめていたのであつて、その際に図案の専門家である須藤の病状の如何は、爾後の作業計画を立てる上に重大な影響のあつたことが認められる。そこで須藤と比較的近い所に居住している佐藤が、同人の病気見舞をかねて何日から出勤できるかを聞きに行つたことは、会社の責任者の行為として異とするには当たらない。そしてそのついでに、その日たまたま職制や非組合員に支給した年末一時金を、須藤が病気中であり且つ年末であることを考えて持参したことも、これまた別に他意があつたと考えるほどの行為ではない。その上、その時に佐藤が、須藤が拒否するのに無理矢理に受領させたとか、組合の態度を非難したという主張も疎明もないのであるから、これをもつて団結権を侵害する行為であると見ることはできない。

(7) 山口孝義に対する埼新印刷の態度について

斉藤静也が、山口に対して行なつた暴力行為は、同人が会社の最高責任者の一人であることから考えると、正に不謹慎且つ不穏当な行為であつたと言わねばならない。しかし、斉藤が、山口が組合員であつたが故に特に暴力を振るつたとか、または暴言をはいたということを首肯させる疎明がない。その外、斉藤が、平常から短気でとかく粗暴な振舞いが多かつたことについては当事者間の意見が一致しているし、また同人はその直後に自己の非を認めて山口に詫びた上に、組合の執行委員会へも出向いて謝罪したことが認められるから、組合としてもこの問題は一応それで納得したものと判断される。

それから組合は、斉藤が松村に対しても腕力を用いたこと、および山口に担当事務以外の仕事を命じたことについても不当労働行為であると主張するが、勤務時間中は組合活動の許されないことは労働協約第六二条によつても明らかであるから、斉藤が出勤停止措置中の組合書記長松村の事務室入室を拒んだことは、理由があるといわねばならない。また、その斉藤の行為も、特に暴力というほどのものではなかつたと認められるし、斉藤が山口に松村を入室させないようにせよと命じたことも、職務分掌が必ずしも明確でない中小企業の場合には有り勝ちなことであるから、この程度のことは別に救済には値しないと判断する。

つぎに山口の義兄小林利行に対する関口の言動であるが、関口は販売担当員として販売店を訪問することは当然の職務であるし、その外、山口が埼新印刷に入社したのは小林の依頼をうけた関口の紹介によるものであつたことが認められるから、たまたま社用で小林宅を訪れて対談中の関口が、当時、年末一時金について会社と交渉中であつた組合および組合の活動家である山口のことに言及したとしても、左程、不自然なことではない。そしてたとえその時に関口が、小林に対して山口に組合脱退をすすめて欲しいような口吻をもらしたとしても、同人の会社における地位から見て、特にそれが会社幹部の意をうけていたという疎明がない以上は、それは同人が紹介者としての立場から、会社に義理立てしての言葉と見るのが相当である。この点についての組合の主張は認められない。

(8) 昭和三九年度年末一時金要求に対する被申立人らの態度について

組合は、この時に埼玉新聞が文書回答だけで団交に応じなかつたこと、この紛議が当委員会に調停事件として係属中に埼玉新聞と中央アドが、職制や非組合員に対して会社案による年末一時金を支給したこと、および中央アドがその際に組合員に対しても受領を強要したことは、それぞれ被申立人らの組合無視および組合を各社毎に分断しようとする意図の徴憑であつて、労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であると主張する。

よつてこれらの点について判断すると、まず埼玉新聞は、経営困難および組合員が二名だけであることを理由に団交を拒否しているが、これらの理由はいずれも団交拒否の正当事由とは認められないので、それは正に労働組合法第七条第二号に該当する不当労働行為であるといわねばならない。

つぎに埼玉新聞と中央アドが、組合との団体交渉中に会社案によつて年末一時金を職制や非組合員に支給した点を考えると、会社と組合間の協定の拘束力は原則として組合員にのみ及ぶものであり、且つ会社と職制や非組合員との関係は、それが特に組合の団結権を侵害する意図で行なわれるものでないかぎりは、同じく原則として当事者が自由に定め得るものである。したがつて本件の場合において、会社はたとえ組合とは交渉中であつても、その統制外にある職制や非組合員に年末一時金を支給したことは、それが特に組合の団結権を侵害する意図で行なわれたという疎明のないかぎり、非難することのできない行為である。ところが本件においては、組合はそのような疎明は何らしていないから、この会社の行為を不当労働行為ということはできない。

それから中央アドの武井兼雄社長が、組合員山田正則および近藤清策に対してもその受領を勧めたことは、組合と交渉中であることを無視し、同人らをして組合の統制を破らせようとした行為であつて、一見、不当労働行為を思わせるものがある。しかし、この場合に武井が、どのような方法および程度でそれを勧めたのかについては、具体的な主張も疎明もない。その上に同人らは、結局、受領しなかつたのであるし、且つ両名がその不受領を理由に不利益取扱をうけたということも認められない。故に武井の行為は、二人の意思決定には影響を及ぼさなかつたし、また組合の団結権を侵害するほどのものではなかつたと判断する。したがつて、この点についての組合の主張は採用できない。

(9) 組合の掲示に対する埼新印刷の抗議について

組合が、予め組合用として会社に認められた掲示板を使用するについては、それが法令、協定および就業規則などに反しないかぎり、原則として組合の自由であるといわねばならない。しかし、会社と組合間に予め掲示板からはみ出さぬことという合意がある場合に、これに反する掲示をしたことに対して会社から抗議をうけたとしても、それは当然のことであつて別に組合の運営に対する支配介入ということはできない。本件の場合においては、正にそのような合意があつたことが認められるから、組合の主張は採用できない。

(10) 組合員に対する中村整備課長の組合脱退指導について

労働者が、すでに加入している労働組合から脱退するか否かは、全く本人の自由意思によるべきであつて、もしもその意思決定について多少でも使用者の側からの積極的な働きかけがあつたとすれば、それは労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であるといわねばならない。もつともその場合に、それが使用者の側からの働きかけであると認められるためには、そのような行為を行なつた者が労働組合法第二条第一号に掲げられた者であるとか、または使用者の特別の意をうけた者であることが必要である。そこで本件の場合に、組合員長島に対して脱退届の書式を教えた中村勝美の地位を見ると、同人は会社の整備課長であつて、この職は労働協約第五条によると非組合員になつている。したがつて同人は、労働組合法第二条第一号に列挙された労働者に該当するものと認めるのが相当であるから、その行為は会社の行為とみなされるべきである。したがつて同人の所為は、労働組合法第七条第三号に該当するので、主文のとおり救済する。

(11) 組合の争議行為に対する被申立人らの批判的言動について

組合は、被申立人らが組合の争議行為に対して全従業員にビラを配布したり、埼新印刷が全従業員に対して争議行為に対する批判的な訓辞をした上に、警告書と称する文書を郵送したことは、労働組合法第七条第三号に該当する不当労働行為であると主張する。しかし、これらの被申立人らの言動の内容が、組合の結成もしくは運営に対する支配介入に当るという具体的事実の主張および疎明がない。そしてこの点についての各証人らの証言を綜合すると、その内容は要するにストライキに対する会社側の見解と、争議行為が成る可く早期に終結して欲しいという希望の表明にすぎなかつたのであつて、それ以上に組合の行動を誹謗したり、または争議参加者を不利益取扱を以て威迫したりしたものではなかつたことが認められる。それにこの時の争議については、組合は前年の夏に要求した賃上げその他の事項の貫徹のためのものであつて、労働協約第七一条の要件は充たしていると主張するが、組合はその要求を翌四〇年四月の大会で再確認するという手続をとつて居り、且つそれについて改めて被申立人らと団交していることが認められるから、たとえその内容は前回のものと同一であるとはいえ、さらに労働協約第六八条および第六九条の手続を要すると解する余地がある。したがつて被申立人らが、この争議をもつて組合の暴走うんぬんと批判することにも理由がないわけではないから、その程度が上記のようなものである限りは、まだこれをもつて不当労働行為ということはできない。

二 組合と被申立人らの団交方式について

組合は、被申立人らがいわゆる三社統一団交を拒否したことは、被申立人らの組合無視の態度の具体的表現であり、且つそれは労働組合法第七条第二号に該当する不当労働行為であるとして、その救済を求めている。しかし、労働組合法の保護をうける団体交渉の当事者は、労働者と使用者またはその団体であつて、且つその間には現に労働関係が成立しているか、または少くともそれが成立する可能性が存在していなければならない。ところで組合が、これら三社の従業員で組織された単一組織の労働組合であることは認められるから、組合がこれら三社とそれぞれ個別的に団体交渉を行なうことができることは明らかである。だが三社は、各別の人格を有する独立の法人であるから、それが一体となつて統一団交に応じる義務があるというがためには、これら三者が少くとも労働関係の当事者としては、同一組織であるということが立証されなければならない。

そこで組合は、その立証として(イ) 三社は元元、一社であつたものが分離したものである。(ロ) 現在でもその業務は、他社ならば一社で行なつている内容のものである。(ハ) 三社は主たる事務所を共用している。(ニ) 役員にも兼任者が多い。(ホ) 経営方針や労務管理は三社が協議して決定している。(ヘ) 昭和三八年までは、毎年の元旦に埼玉新聞社長(当時)竹井博友が三社の従業員を一堂に集めて挨拶した。(ト) 上記、昭和三七年一〇月一日付の組合と三社間の覚書の趣旨。(チ) 三社が同一資本である。(リ) 従来の慣行および交渉上の便益などの理由を主張するので、以下、順次、これらの点を検討する。

まず(イ)については、元元が一社であつたということは、現在も三社が一体である理由としては不充分である。(ロ)他の新聞社の場合はどうであろうとも、現に法律上、各別の法人として設立されて別個の企業として経営されている以上は、ただその業務内容の関連性が大であるということだけでは、これは同一経営組織と見ることはできない。(ハ)事務所の共用は、同一組織から分離した企業間ではまま見られることであるから、これをもつて三社を同一体というには足りない。(ニ)役員兼任の状況については、本件申立当時における三社の役員総数(監査役を除く)二五名中、三社兼任が二名、二社兼任が四名という程度であり、しかも前者の中の一名は、昭和四〇年五月に一社の役員を退任している。これらの数字から見る限りでは、分離後数年しか経ていない三社の場合としては、特に顕著であるとは考えられない。(ホ)経営方針や労務管理についての協力関係は、一般に同系統の企業間では多く見られるところであり、特にこれらの三社のように、同一組合を相手として交渉せねばならない立場にある企業としては、むしろ当然というべきである。(ヘ)竹井の元旦の挨拶は、同人は昭和三八年までは二社の代表取締役と他の一社の取締役を兼任していたから、便宜上そのようなことが行なわれたものと推察される。それに組合としても、昭和三九年一月頃までは統一団交による三社一本の協定が締結されたことを認めているのであるから、この当時までのことは今後のことについての理由にはならない。

また(ト)の協定の趣旨は、その文面上からも明らかなように新聞の定価の値上げ、社屋の譲渡および広告局の分離については統一交渉を行なうと定めたものであつて、これら以外の事項についてまでの統一交渉を協定したものではない。(チ)三社が同一資本であるということについては、疎明がない。(リ)従来の慣行という点については、当事者間の初期の交渉形式や往復文書の形式などから見て、そこに一応の理由のあることを認めなければならない。しかし、この慣行は、組合も認めているように昭和三九年頃から次第に変更されてきているのであつて、その頃から組合としても問題によつては三社中の一社または二社に個別に要求し且つ団交して、その結果として各別の協定をも結んでいることが認められるのである。すなわち三社が分離独立した当座においては、諸般の条件が相似していたので労使ともに一体感が強く、したがつて統一交渉も無理がなく行なわれたのであるが、その後の時の経過とともに、各社の経営内容や従業員中の組合員の比率などにも差異が生じてきて、今日では三社に共通する特殊の議題を除いては、むしろ個別に交渉する方が自然且つ適当と考えられるようになつたものと判断される。つぎに交渉上の便益ということは、交渉当事者の双方の便益が一致する場合は問題がないが、それが一致しない場合にも自己の便益を主張して、これを相手方に強制することは許されない。

以上のようなわけで、このことについての組合の挙げる理由はいずれも不充分であるから、当事者らが各自の都合で任意に統一団交を行なうことは何ら差支えないが、法的拘束力を伴なう当委員会の命令による救済には、なじまないものという外はない。

三 松村幸男に対する出勤停止、休職、懲戒解雇等について

(1) 当事者らの主張について

松村幸男が、埼玉新聞川口支局に在勤中、約三年間にわたつて総額約一八万円を電話料として会社に請求し且つ受領したが、同人がこれを電話使用先へ全く支払つていなかつた事実については、当事者間に争いがない。しかし、この事実について埼玉新聞は、これは松村の詐欺行為であつて、労使間の信頼関係を裏切る行為であるとするのに対して、同人および組合はこのような行為は、(1) 新聞記者の間では一般に認められている慣行である。(2) 埼玉新聞においても従来からこのような慣行は存在しているし、会社幹部もこれを容認していた。(3) 埼玉新聞の給与は、同業他社に比べて劣悪であつたから、生活費の補給として止むを得ない行為である。などという理由で会社の主張を反駁するとともに、会社がこのことを理由に松村に対して行なつた一連の処分は、労働組合法第七条第一号に該当する不当労働行為であると主張する。そしてその根拠として、松村の組合活動が特に活発であつたこと、およびこれらの会社の処分が労働協約に違反し且つ二重処罰禁止の処理に反するものであることを挙げている。

そこで当委員会としては、以下、まず組合の列挙する理由についてその当否を検討する。その前に一言しておかねばならないことは、労働委員会は労働組合法その他の法令によつて与えられた権限のみを行使する行政機関であつて、犯罪の成否や法律行為の効力を判定する司法機関ではないということである。したがつて当委員会としては、要するに会社が松村に対して行なつた一連の不利益処分と同人の組合活動を対置して、その間の因果関係の有無を判断するだけであり、またそれで職務の遂行として充分なのである。

(2) 会社が松村に対して告訴および出勤停止措置を行なつた動機について

組合は、上記のように松村の行為が処分に該当しない理由として、第一に新聞記者の慣行を主張し、その疎明として東京新聞社および日本経済新聞社などにおける状況を挙げている。しかし、かりに他社にそのような慣行があつたとしても、それがそのまま埼玉新聞においても存在したということにはならない。第二に埼玉新聞における慣行について一部の証人らは、入社時に幹部から給料は安いが経費で補給できるといわれたこと、各支局や通信部の経費請求には一定の枠があり、その枠内ではいわゆる水増し請求が認められていたこと、低賃金であるから、このようなことがなければ生活できなかつたことなどを証言している。しかし、他の証人らは、これらの事実をすべて否認して、経費請求はすべて実費主義であつて、実際に支払つた金額をできるだけ領収書を添付して請求するのであり、いわゆる枠などというものはないと証言する。

そこでこれらの証言を綜合して判断すると、まず会社の幹部がこれを認めていたという点については、その証言は具体性を欠いている上に昭和三〇年頃のことであるから、その後の社会情勢や会社の営業方針、人事などの変化を考えると、これをそのまま採用するわけには行かない。つぎに枠については組合の主張をそのまま認めてかりに川口支局に水増し請求を許容される一定の枠があつたと仮定しても、もしも松村の請求額がその枠を越えていたとすれば、会社として同人のその点の非違を追求して、責任の所在を明らかにすることは、使用者としての当然の措置であるといわねばならない。そこでまず松村の請求が、この枠を越えていたか否かを判断することにして、その基準として、松村のそれを同人の前任者である野口貢一の経費と比較して見ることにする。

野口の経費ノートによると、同人の経費の中で蕨警察署、川口市役所および川口警察署の電話使用料の合計と、経費の総額は下記のとおりである。(野口の場合は毎月二〇〇〇円の家賃補助があるので、これを控除する。)

(   年  月)(電話使用料)円  (経費総額)円

昭和三五・一二     三八九〇    一三四七五

三六・一      三八三五    一三〇五七

三六・二      三八二〇    一四一六五

三六・三      三八八〇     八五八五

三六・四      四四三七    一二六〇二

三六・五      四三八二     九七五七

三六・六      四七五四    一〇八三九

三六・七      四七七二    一一一四二

(月平均)      四二二〇円  約一一七〇二円

備考

(1) 昭和三六年五月分のノートには、「なるべく支局の電話を使用されてはと思います。」と付記されている。

(2) 公衆電話の使用については、昭和三六年二月までは実費で請求し、翌三月からは松村の場合と同じく一カ月一〇〇〇円の打切り電話料になつている。

(3) 昭和三六年二月までは、川口支局に栗原某が配置されていたので、同月までの経費には同人の分も含まれている。

(以上)

前任者の請求額は以上の如くであるが、さらにこれを松村とほぼ同一条件になつた昭和三六年三月分から同七月分までについて計算すると、その間の平均は電話料が四四四五円、経費総額は一〇五八五円になる。ところでこれに対する松村の請求額は、上記認定したものを含めて下記のとおりである。

(   年  月) (電話料)円 (経費総額)円

昭和三七・一〇    五六〇七    九八二七

三九・三     五二七四    九七〇四

三九・四     五七七五   一〇一九五

(月平均)     五五五二   約九九〇八

(以上)

なお、昭和三七年九月三〇日に電話料が改定されてはいるが、それは浦和、川口、蕨間の通話料金が三分二一円から五〇秒七円になつただけで、実質的な変更はないと認められる。そこで、これら両者をそのまま比較すると松村の電話料は野口のそれに比べて月平均約一一〇〇円多いことが認められる。ことに同人の昭和三九年六月分の経費は電話料が約七二〇〇円、総額が約一六〇〇〇円であつたから、この月については電話料約二八〇〇円、総額において約六〇〇〇円多かつたことがわかる。上記に認定したように、デスクや編集局長としては経費の中でも特に電話料が不当支出になり易いことを考慮して、松村や野口に対してもその点をしばしば注意していたのであるから、この大幅な超過は角田や高野にとつて軽軽には看過し得ないものであつたことは当然である。

ところで前任者野口の経費は別に問題にならなかつたことからして、同人のものをいわゆる枠の標準と考えると、この松村の請求額はその枠をはるかに越えていたといわねばならない。その上、この枠なるものは、たとえあつたとしてもこれは総額についてのもので、電話料についてはなかつたと認められることは、野口や松村の電話料に対するデスクや編集局長らの従来の査定、およびこれに対して同人らが別に異議を述べていないことからも察知できる。したがつて経費の請求については、一定の枠内で水増しが許容されていたという組合の主張および疎明をそのまま認めたとしても、松村が昭和三九年六月分として請求した電話料について会社が不審を抱いたことには、合理的な根拠があつたといえる。ことに松村の電話料請求については、すでに同年の三月分および四月分についてもそれぞれデスクが注意を与えていた際であるから、この六月分の請求について会社が同人にその内訳の釈明を求めたことは、企業の経営者として当然のことであつて別に信義則に違反する行為でもなかつた。ところが松村は、この会社の要求に素直に応じないで、「そんなことは判らない。必要ならば勝手に調べたらよいではないか。」と反抗的に答えたので、高野としては電話使用先について直接に調査をはじめるにいたつたものと推定される。そしてその結果として、松村が会社から受領した電話料を使用先に支払つていないという事実が判明したのである。

なお、組合は、松村の組合活動が特に顕著であつたことを立証して、社内には他にも同様のことをしている者が大勢いるのに、会社が特に松村についてだけ調査して、その責任を追求したことは不当労働行為であると主張する。松村の組合活動が活発であつたことについては、会社も争つていない。しかし、松村以外にもこの種の行為をしている者がいるということ、および松村の組合活動がこの処分の決定的動機であつたということについての組合の疎明は不充分である。これに対して会社が、松村の電話料の内訳を調査するにいたつたことについては、上記のとおり充分な理由があつた上に松村の組合活動はすでに昭和三二年三月頃から顕著であつたのであるから、この点についての組合の主張は採用できない。

また会社が、松村を告訴するにいたつたことについても、上記の事情から考えると、その行動にやや慎重を欠いていた点が認められるが、これまた特に同人の組合活動を嫌悪した結果と認めるに足りる疎明はない。

(3) 松村に対する出勤停止措置の手続について

会社は、松村を告訴するとともに、同人を懲戒解雇処分にしようと考えた。そして労働協約上の手続として、まず組合に対して協議を申入れたことが認められる。ところが組合がこれに応じないので、会社は松村の懲戒解雇を一時保留して、改めて同人に対して出勤停止の措置をとつたのである。この措置について、組合はこれを懲戒であるから労働協約第一五条および第四六条によつて組合との協議が必要であると主張し、会社は懲戒ではなくて業務命令であると主張する。ところで出勤停止措置については、労働協約および就業規則に規定がない。そこでこれらの全体の趣旨を綜合して判断すると、従業員が就業規則に定められた勤務時間中、会社の業務に従事することはその義務であり、その業務の遂行については会社の命令に従わなければならない。この業務の遂行についての会社の命令が、いわゆる業務命令である。出勤停止措置とは、結局、消極的な業務命令と解するのが相当である。そして会社は、松村は出勤停止措置中でも一時金、定昇、昇給の対象になると回答したのであるから、その態度に矛盾はない。

その外、会社が、かつて組合員奥野史郎に対して出勤停止措置を行なつた時にも、その発令は口頭であつた上に組合と協議しなかつたが組合は別に異議を申立てなかつたことが認められるから、この点についての組合の主張も認容できない。

(4) 松村に対する休職処分について

松村に対する休職処分が、労働協約上の懲戒処分であつたこと、およびその適用条項については当事者間に争いがない。ただ組合は、これは懲戒であるから労働協約による協議が必要であり、且つその申入れは従来の慣行により委員長宛の文書で行なうべきであるのに、会社が口頭で執行委員に申入れたのは労働協約違反であると主張する。

しかし当委員会としては、たとえ会社の行為が労働協約に違反していたとしても、単にそのことだけで、会社の行為を不当労働行為と判定することはできない。会社のその協約違反の行為が、労働組合法第七条の禁止している不利益取扱または支配介入に該当するか否かを判断して、もしもそれが積極に解されるときは、その取消しと原状回復を命ずるだけである。

このような観点から本件の場合を見ると、会社が組合の執行委員を通じて協議を申入れたが、組合からの回答がないので、そのまま処分を行なつたことが認められる。労働協約は、この協議申入れの手続を規定していないから、その方法は慣行または社会の通念で解釈する外はないが、最初に会社が松村の懲戒解雇をしようとした時には文書で申入れたことが認められるから、この時の会社の申入れ手続は不備であつたという外はない。しかし、たとえその手続は不備であつても、会社が労働協約による手続を履行しようとしたことは認められるし、ことにこの問題は労使間で五カ月も争われてきたことであつて組合が協議に応じないことは充分に予見されていたのであるから、この程度の手続上の不備は、この場合としてはまだ協約違反とまではいえない。また組合が、この紛議をこの種の問題処理のために常設されている苦情処理委員会に申出なかつたことは、組合自身もこの問題については最早協議不要と考えていたことを示すものであつて、いずれにせよこの手続の不備は、この処分を不当労働行為と推定させるほどの重大な瑕疵ではない。

これに反して会社には、上記のような事情で松村の責任を追求するについて相当な理由があつたのであるからこの点についての組合の主張は認められない。

(5) 松村に対する懲戒解雇について

会社は、松村の休職処分が解除されていないのに、重ねて同人に対して懲戒解雇処分を行なつた。そしてこの解雇が、労働協約に基づく懲戒処分であつたことは、その通告書の文言および一部の証人の証言によつても明らかである。会社は、その理由として同人に反省の色のないこと、および先の休職処分は本人の反省を促すためのいわば警告的処分乃至は一種の保全処分であつて、この解雇処分が本来の意味の懲戒処分であると主張し、組合はこれは同一事実に対する再度の処分であるから、無効であると主張する。

よつてこの点について判断すると、いやしくも労働協約によつて懲戒の種類および手続を規定した以上は、使用者としては爾後その規定の許す範囲内でのみ、その懲戒権を行使せねばならないことは明らかである。しかるに当事者間の労働協約には、会社の主張するような警告処分とか保全処分としての懲戒などは存在しないから、この懲戒解雇は前回の休職処分と同じく、労働協約第四六条および第四八条に基づく懲戒処分であるといわねばならず、これは正に組合の主張するように、同一事実に対する再度の処分であるという外はない。そうであればそれは懲戒権の濫用になるものと解される。しかしながら、すでに述べたように当委員会としては法律行為を無効と判定する権限は有しないのであつて、もしもそのように解される行為があつたとしても、それは不当労働行為の存在を推定させる証拠資料の一として考慮されるだけである。したがつて、もしも他にこの推定をくつがえすに足りるだけの有力な反証がある時は、不当労働行為の成立は否定されるのである。そこでこの処分までの当事者らの関係の推移を見ると、会社が松村に対して告訴出勤停止および休職処分を行なつてからは、両者の間にはげしい感情的な対立が生じていたことが認められる。そしてこの対立は、会社が昭和四〇年一月一四日に、松村に対して電話使用料の返還を請求し、同人がこれを拒否するとともに会社の行為を不当労働行為として非難する回答を行なうに及んでは、遂に憎悪ともいうべき状態にまで達してしまつた。

しかし会社としては、その社会的な体面や部内の宥和論などを考慮して、成るべく事を穏便に解決しようとして、さらに翌二月三日付で同人に出頭と始末書の提出および返済方法の協議を求めたところ、同人がこれに応じないので会社は止むを得ず懲戒による解雇を行なつたものと解される。そうであれば会社のこの行為は、松村の組合活動を嫌忌した結果ではないから、不当労働行為とはいえない。

なお、組合は、松村に対するこれら一連の会社の行為は、会社が周到に準備した悪質な弾圧行為であると主張して、この点も会社の行為が不当労働行為であることの理由としている。しかし、会社が一度、組合に懲戒解雇の協議を申入れておきながら、これが反対されると直ちに撤回して出勤停止措置に変更したこと、および休職処分の発令後においても寛大な処置をとる用意がある旨を通告していること、懲戒解雇後においても会社は、事情によつては同人の職場復帰もあり得ると表明していることなどから判断すると、会社としては、松村が事実を明らかにして反省の実を示せば、最終的には復職させてもよいと考えていたものと推認される。すなわち同人へのこの処分は、いわゆる一罰百戒が目的であつて、必ずしも同人を会社から排除することを目的としてはいなかつたことがうかがわれるのであるから、この点についての組合の主張も肯認できない。

以上のような理由で、松村に対する懲戒解雇と同人の組合活動との間には因果関係のないことが明らかであるから、この点に関する組合の主張も採用する由のないものである。

四 昭和四〇年五月の争議中に、埼新印刷が行なつた差別的取扱いについて

この時の争議中に、埼新印刷が職制および非組合員にだけ支給したジユース、アイスクリーム、りんご、バナナ、夏みかんなどは、同社へ対して関係会社から贈られたいわゆる陣中見舞品であつたことが認められる。そうであれば、会社としてはその配分についてだけの責任があつたわけであるが、関係会社がそのような品を贈つた趣旨、および会社としては現に組合員のストライキによつて労働を強化されていた職制や非組合員の志気を鼓舞する必要のあつたことなどの理由を考えると、この程度のことは不当労働行為とまではいえないと判断される。

ただし会社が、会社の設備した社内食堂において、職制および非組合員に対してだけ無料給食を行ない、組合員に対してはこれを行なわなかつたことは、当時のストライキがいわゆる時限ストであつて、せいぜい三〇分から一時間程度のものであつたこと、その食堂は会社が従業員の厚生施設として永続的に設置したものであること、無料給食の有無は労働条件として重大な差別であることなどから考えると、これは組合の正当な活動であるストライキをしたことを理由に組合員に対して加えた不利益取扱いと認められる。

もつとも会社は、争議解決後は組合員に対しても無料給食を行なつていることは認められるが、将来において同じようなことの行なわれる可能性は多分にあると考えられるので、この点については主文のように救済する。

つぎに会社が、非組合員にだけ早出や残業をさせたことは当時、非組合員が従業員の過半数を占めていたこと、および組合は争議態勢に入つていたことを併せ考えると、別に不当な行為ではない。

五 謝罪文の掲示の救済申立てについて

組合は、上記の各事実について不当労働行為が成立すると主張して、それらの事実のほとんどすべてにわたる謝罪文を、埼玉新聞および埼新印刷の掲示所に掲示することを求めている。しかし、以上の判断で明らかなように、組合の主張の大半は採用できないものであるから、従つてそれらについての謝罪文の掲示は、その必要がないものと考える。

六 中央アドの本件申立ての却下請求について

中央アドは、昭和四一年二月九日付の最後陳述書において、従業員中に組合員が一人もいなくなつたから会社は当事者適格を失つたとして、本件申立ての却下を求めている。

しかし、中央アドの従業員中に組合員がいなくなつたのは昭和四〇年五月のことであつて、その時、会社はその事実を主張しただけで、本件の被申立人としての資格については一言もふれていない。また上述したような当事者らの関係からすると、今後、会社の従業員中に組合加入者が存在するようになる可能性は大きいといわねばならない。以上の理由で、中央アドのこの請求は認められない。

以上のとおりであるから、当委員会は労働組合法第二七条および労働委員会規則第四三条を適用して、主文のとおり命令する。

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